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中村 司のコレクション〜景粛宮 3 文学書


淑姫/ひでひめ 自筆  古今和歌集の講義録
(十一代将軍徳川 家斉公 いえなり公 長女 尾張藩主 徳川 斉朝公 なりとも公 正室) 

将軍家の侍医 桂川甫周旧蔵(かつらがわほしゅう)この古筆は、11代将軍・徳川家斉公の長女である淑姫から将軍家の侍医であった桂川甫周へ譲られ、その証明として「月池」の落款が捺された。 友人である杉田玄白に贈られ、さらに弟子の大槻玄沢に譲られたと推定される 淑姫自筆の古今和歌集の講義録。

左上の「月池」は桂川甫周の所蔵を証明する落款(らっかん) 

明和元年(1764)11月、12月に萩藩の江戸邸に仕えていた吉岡ともひ子という女性が賀茂真淵(かものまぶち)から聞いた「古今和歌集」の講義を書き留めました。吉岡ともひ子は、その後、野村長平に嫁ぎ、出版されることもなく夫婦共に没します。

講義録を書き留めてからしばらく後、大名家の子女の間で賀茂真淵による「古今和歌集」の講義録が話題となり、御輿入れの際の教養の一つとして珍重されるようになりました。

この「古今和歌集」自筆写本をしたためた淑姫(ひでひめ 1789-1817)は、第十一代将軍 徳川家斉公の長女で、尾張藩主・徳川斉朝公の正室。

なお、淑姫が「古今和歌集」を写したのは1800年から1808年の間と推定されています。

自筆の「古今和歌集」を入れた箱には桂川甫周(1751―1809)による「淑姫御筆」の記載と桂川甫周の落款「月池」が捺されています。
 
桂川甫周(かつらがわほしゅう)は、徳川家の侍医として最高の「法眼」の地位にあり、将軍家に出入りを許されており、「古今和歌集」も何らかの理由で、「淑姫」から甫周が賜ったものと推定されています。

読み下し文

・・・を後になほしつらんとおぼゆ
宇治のはし姫の事たしかなる書に見えず、橋姫物語と云あとなしごとは取用うべからず、歌の心もくはし女に説なさんぞやすく聞えたるべし、されど歌にはいにしへよりたしかならぬかたり事をもよみたるが見ゆれば今もそのたぐひとして難なかるべし、くはし女をはしき妻はしき子らなどはよめれどはしびめと云し例もなく又しひてはしづま也しをはしびめにうつしなせし也といはんもいかゞおぼゆ、いにしへよりたしかならぬかたりごとをも歌によむは柘枝の仙女浦島子竹取の翁がたぐひ多かりけり

又、濱ひめたつ姫も所につきて神をさへ申す所也(なり)、ここは橋本なる神の名によせて宇治なるおもひ妻か子とに云(いふ)か



淑姫 ひでひめ  尾張藩主 徳川斉朝公の正室 自筆
 
右上に「月池」



江戸初期に出版された古今和歌集の序文
左下に杉田玄白大槻玄沢の落款が見える
冒頭部分に「天皇(すめらぎ)」と記載



「頭書 古今和歌集遠鏡 八 本居宣長 著 (天保十四年)」 


「頭書 古今和歌集遠鏡 八」は仮名で書かれており、くずし文字が多いので読みつらいです。この本は古いのに、現代の本のように保存状態が非常によく、とても不思議なことです。



「新古今和歌集(1657年)」 二条院讃岐
他にも収蔵している「新古今和歌集」の中に杉田玄白のハンコが押されている和歌があるので掲載しておきます



日本書紀 /ヤマトフミ  神代 (下)巻
享保14年 1729年  徳川吉宗の頃 「天照太神」の文字が見えます



古今和歌集 全2冊  江戸時代後期





「紫式部日記」  杉田玄白・大槻玄沢 旧所蔵
  
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皇子誕生・母子の平安を勅使を通し天皇へ奏上する藤原道長

伏見宮 貞敦親王(ふしみのみや・さだあつしんのう)自筆

伏見宮家 6代目当主。中務卿、式部卿。永正元年(1504年)に親王宣下
室町時代・天文12年(1543年)筆

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伏見宮家(ふしみのみや)は、日本の宮家の一つ。四世襲親王家の一つ。菊の花を裏から見た様子を描いた裏菊を家紋とし、家紋同様、天皇家と表裏一体の存在であった。

北朝第3代 崇光天皇の皇子、栄仁親王(よしひと、なかひと)が始祖。明治維新後に創設された宮家は、ほとんど伏見宮家の系統である。現在の天皇家も伏見宮家の系統であり、伏見宮貞成親王の男系子孫である。
(ウィキペディアより)

「紫式部日記」
紫式部が一条天皇の中宮彰子に仕えていた寛弘5年(1008)から書き始め、1年半後の寛弘7年(1010)頃成立。宮廷生活の記録、特に彰子の皇子降誕など、華麗な宮廷行事が描かれている。

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画像上部に杉田玄白・大槻玄沢の落款(印)

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・・・ながらぞ、たひらかにおはします御ありさま(有樣)、そう(奏)せさせ給(たま)ふ。ろく(祿)なども給(たま)ひける、そのこと(事)はみ(見)ず。御ほそ(臍)のお(緒)はとの(殿)の上、御ちつけ(乳附)は橘三位つき子、御めのと、もとよりさぶらひ、むつまじう心よいかたとて、大さゑもん(左衞門)のおもとつか(仕)うまつ・・・・

現代語訳
≪寛弘五年(1008)九月十一日、一条天皇の中宮(彰子)さまが無事、皇子(のち後一条天皇)を出産された。皇子誕生の祝いとして天皇から守り刀の「御剣(みつるぎ)」を賜わる。天皇の勅使に対し、殿(藤原道長)は、立った≫・・・・・まま、母子(彰子と皇子)ともにご平安でいられるご様子を奏上させられる。御楓刀(みはかし)の勅使には禄なども賜わったが、そのことを私(紫式部)は見ていない。若宮(皇子)の御臍(へそ)の緒をお切りする役は殿(藤原道長)の北の方、御乳付(おほんちつけ)の役は橘の三位(橘仲遠の娘・徳子)、御乳母(めのと)は、以前からこのお邸(藤原道長邸)にお仕えしていて、おなじみで気立てがよい人をということで、大左衛門(おおさえもん)のおもと(中宮女房で橘道時の娘)が奉仕・・・・≪する。≫

画像2
・・・そうず(僧都)、ほうむ(法務)そうず(僧都)など、さぶらひて、加持まゐり、院源そうず(僧都)、きのふ(昨日)書かせ給ひし御願書に、いみじき事ども書き加へて、讀みあげ續けたる言の葉のあはれに尊く、頼もしげなる事、限りなきに、殿のうちそへて、佛念じきこえ給ふ程の、頼もしく、さりともとは思ひながら、いみじうかなしきに、人々涙をえ乾しあへず、ゆゝしう、かうなことかたみに云ひながらぞ、えせきあへざりける。人げ多くこみては、いとど、御心地・・・・・
   
現代語訳
《寛弘五年(1008)九月十一の明け方ごろから、一条天皇の中宮(彰子)さまが産気づかれた。定澄》・・・僧都や法務(ほうむ)僧都などがおそばにおつきして、お加持申しあげる。院源(いんげん)僧都が、昨日、殿(藤原道長)がお書きになられたご安産の願文に、さらにたいそうな願いごとどもを書き加えて、朗々と読みあげ続けたその重々しい文言が、身にしみて尊く、また心強く思われることこのうえないのに、さらに殿が声を合わせて仏をお祈り申しあげるときは、頼もしく、いくら何でも、まさかご安産なさらないことはあるまい、とは思うものの、やはりひどく悲しいので、だれもみなあふれ出る涙をおしこめることもできず、「ほんにゆゆしいこと。こんなに泣くなんて」と、お互いにたしなめあいながらも、なお涙をとどめることができないのであった。
こんなに人の気配(けはい)多くたてこんでは、中宮さまのご気分もいっそう・・・《めいるだろうと考えて殿(藤原道長)は、女房たちを東面の間にお出しになられた。》



「源氏物語 諸巻年立・上下巻」 と 「源氏物語系図」



永正7年 (1510年・室町時代)

源氏物語 年立判は桃花未葉、系図判は桃花宋央

京都大学附属図書館所蔵 谷村文庫と同じか

天文19年(1550年) 桃華宋央奥書本
合綴: 源氏物語諸巻年立(関白・太政大臣 一条兼良 著)との関係は調査中



百人一首一夕話  (四) (七)  (九)
天保4年  1833年   尾崎雅嘉 著 大石眞虎 画

紀貫之などの人物名ごとに分類l



『絵本 豊臣勲功記 四編巻之二』 江戸 八功舎
絵は、@信長の比叡山焼き討ち A信長の強運金剛相模善住房砲火を遁れる B織田家の三子岐阜に於いて元服 C伊黒攻め日根野が智計、磯野丹波守をあざむく D竹中重治理をつくして日根野兄弟を説く E斎藤龍奥前波吉継妾ふ恋着 F前波吉継増田毛谷の輩を伴い織田の陣へ降参 G脇坂の悍勇片桐加藤福島の三傑と戦う

熊本大学・細川家旧記
http://www.lib.kumamoto-u.ac.jp/eisei/right03.htmlと同じか



絵本 豊臣勲功記 四編巻之四』 江戸 八功舎




絵は、@淀城の戦闘加藤清正岩成好通を活捉 A高槻攻中川瀬兵衛誓和田伊賀守討捉 B安養寺三郎佐衛門奥廃覚故郷へ帰去 C秀吉間者をもって日根野兄弟の心を惑す D秀吉智を走らせて日根野兄弟を欺く E日根野瞋浅井新七郎を碩る F秀吉謀略を前波倚授る大嶽廓堡をおとす陷得 G信長の憤激正魅を打つ朝倉を追毆




「中庸」 (ちゅうよう)
江戸幕府の儒学者 林羅山(はやしらざん)による「中庸」を天保年間に再刷



日本紀歌解 (上) (中) (下)   文政2年(1819年)



「古今和歌集」(こきんわかしゅう) 江戸時代 後期
紀貫之(きのつらゆき)など六歌仙

    第一巻   第十巻    掲載予定



草菴和歌集 (そうあんわかしゅう)
元禄8年 9月 (1695年) 5代綱吉公の頃



本居宣長 (もとおりのりなが) 「玉鉾百首」
「古事記」の研究を通じて,儒教や仏教で説く道はただ人智による理屈にすぎず,「古事記」などの日本の古典にこそ真の道が備わっているとして,その国学思想を古道として説き,自らこれを用いて講義したといわれる「直毘霊」(明和8年成立)わが国成立の道を100の和歌であらわした「玉鉾百首」(天明7年刊)ともに本居宣長の古道の代表作として知られている。



和歌八代集抄 四冊   江戸中期〜後期
(古今和歌集   巻四・五・六        一冊 
 後撰和歌集   巻四・五・六・七     一冊 
 後拾遺和歌集  巻十五・十六・十七  一冊 
 千載和歌集   巻一・二・三       一冊)   
   
和歌八代集 歌集 紀貫之 後白河院 源順 伊勢など



山陽遺稿 巻七・八 一冊
頼山陽  幕末 邪馬台国など記述

「日本外史」を出版した頼山陽による「邪馬台国」の記述は貴重


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