姉歯建築士によるマンション設計書偽造事件を見て
こんにちは。中村司です。
「医療を通じて日本を変える」という目的のため、日頃、健康に関わること以外書かないようにしていますが、あえて脱線してみたいと思います。
あの、姉歯秀次一級建築士によるマンション耐震強度の設計書偽造事件です。
ここしばらく1面トップニュースで「アネハ、あねは、姉歯」の毎日。
人間不信でイヤになっちゃうかもしれませんね。
マンション居住者の方は眠れない日々が続いているでしょう。
同情申し上げます。 「利益追求主義が最大の問題」として「人命を軽視する姉歯氏や利益優先のマンション業者が悪い」と決め付けるのは簡単なことです。
しかし、「姉歯氏や建築業者 ヒューザーだけの問題なのか?
もしかして氷山の一角?」
と東京から遠く離れた岐阜市/私の周囲でも話題になっています。皆さんも疑心暗鬼になっているかもしれません。
私はこの一件から、今の社会の根底にある共通の問題を感じました。
商品先物取引大手の会社、牛肉偽装問題、悪質リフォーム会社、振り込めサギ・・
キーワードは「仕事」です。
ほとんどの人は仕事を通じて収入を得て、自分を向上させて(?)います。
これは事実ですが、「何のために働くか」は人によって大きく違います。
普通は「仕事はそんなものだ」「食べていくために、お金/数字を得るため仕方ない」ということになりそうですね。
でも、悪いことをしたり、人を傷つけて心が痛まない犯罪者も少ないのではないでしょうか。
姉歯氏をかばうわけではありません。ルールを破るのは論外です。
効率よく楽して稼ぐためには、姉歯氏のいう「食べていくために偽装した」という主張を責めきれない。
資本主義の一つの論理として、成り立つ可能性があるかもしれないのです。
この場合、被害者も加害者もかわいそうです。。
同列ではありませんが、北朝鮮では「生き残るため」に、母親が死んだわが子を食べているという現実があるそうです。困った時「背に腹はかえられない」といいますよね。
私はこの母親を責める気にはなれません。
ここで話を医療に戻したいと思います。
「治療院なんてテキトーにもんで、患者の話に合わせておけばいいんだ。
難しいことは医者に任せておけば安心。
後は経営戦略と宣伝が大事。原価計算と人件費、坪数あたりの回転率と売上げを計算しなきゃ」
というのも1つの考え方なのです。
手抜きマンションとすごーくよく似てるでしょ? 笑
治す気のないヤブ医者や、利益至上主義の病院も同類。
というか、手抜きマンション以上に悪質じゃないかと思っています。。
「近所のクイックマッサージが割引キャンペーンを始めたみたい。
料金が5千円だと患者さん来ないから3800円にしておこう。
そうすると材料費がもったいないから節減しなきゃ。
効き目は落ちるけどこっちの低価格の材料を使おう」
なーんてこと、思ってる先生が多いかも。。
これ、実はよく聞く発言です。
患者さんの痛みを無くすことより、自分が食べることを優先したくなります。
お金のことを考えると「安値競争と経費削減」しか頭に浮かんでこないのは人情です。
これを批判するのは、私も心が痛むのですが・・ 資本主義の現実。
ある治療家はスタッフに「仕事=親切」と教育しているそうです。
これは素晴らしいと思います。その発想でいけば、きっと治療院は流行るでしょう。
ちなみに私は「仕事=親切」は一面のことと考えています。
私にとっては「治療 = 趣味」です。
趣味、考えの合わない患者さんは辞退させていただいてます。
仕事にしたくない。食べていくためにやりたくないんです。
「金をやるから治してみろ」って言われてもムリだもん。
役に立てると楽しいから、治ってもらうのが面白いからやっているだけ。相手が喜んでくれるから親切にしているにすぎません。
自分の力の限界がどのあたりか見たいから、他の治療家が避けるムチャな難病も引き受けたりします。
一日中、治療してもあまりつかれ
ないし、1日中勉強している日もあるし、皆さんに教えるのも大好き。
でね、「材料はケチりません」って宣言しています。
ケチるとロクなことはありません。
日本で一番高いのは、材料や土地代ではありません。人件費ですよね。
安いことを目標にすると結局、「安っぽい治療」になるのです。それは避けられません。
私はとんでもない費用と、時間を投資して最高の治療法を探してきた自信がありますので、道端に転がっている普通の治療法に興味がもてないという人格障害者なのです。
「効果重視」これ以外の基準、選択肢は私の中にありません。
治らないからみんなが不幸になるのです。
治らない患者の不幸。患者の家族にふりかかる不幸。治せない治療者の不幸。
、、治らないと、ずっと不幸の連鎖が続きます。
私が研究に相当のお金をつぎ込んだり、寝ずに勉強した時期もありますが、それができる理由は、2つあるような気がします。
1. オタクだから。 治療 = 趣味
たぶん他の先生に負けるはずがないとおもいます。
「痛みを減らす方法」とか一日中考えても飽きませんので。 「仕事」という概念を超えているようです。。
天職、なのかな。。
2. 自分を安く売らないから。 費用は二の次。
私の治療を格安で受けた患者は治りが悪いのです、なぜか。。
(金銭によるエネルギー交換のバランスが悪いのかも)
ここで、アドバイス。
私に言われた金額の2倍置いていきましょう。きっと良く効きます。
↑ ウソウソ
たぶん他の先生に負けるはずがないとおもいます。
「痛みを減らす方法」とか一日中考えても飽きませんので。 「仕事」という概念を超えているようです。。
天職、なのかな。。
2. 自分を安く売らないから。 費用は二の次。
私の治療を格安で受けた患者は治りが悪いのです、なぜか。。
(金銭によるエネルギー交換のバランスが悪いのかも)
ここで、アドバイス。
私に言われた金額の2倍置いていきましょう。きっと良く効きます。
↑ ウソウソ
後輩の人によく言うのは「安っぽい治療をするな!!」「一回10万円取れるような治療を目指せ」「楽しみましょう」という言葉です。
勘違いしてほしくないのですが、もちろん「暴利を取れ」という意味ではありません。
「多少、高めにいただいて3倍、5倍以上の価値を提供してあげるのが大切。結果を出してあげなさい」ということになるでしょうか。
例えば、1回1万円いただいていいのです。
10万円分の価値ある治療をすれば、患者さんは泣いて喜んでくれます。
笑顔を見た治療者も嬉しいはず。
その精神を表現しています。
現在、食っていくのがやっとの貧しい治療者が多い。
よって治療者の質が悪くなり、国民の健康に悪影響を与えています。
もっと夢と目標、モチベーションを持っていただきたい。
私は後輩の皆さんに「治療者の成功像」を見せることによって、優秀な治療家がもっともっと増えてほしい、という想いもあります。
そうすれば、国民に多大な恩恵が生まれることでしょう。
日本の詰め込み教育は、学ぶ楽しさを奪いました。
おかげで無気力で画一的な子ども、熱意のない大人が増えたような気がします。
外国に行けばわかります。電車の中では若者はみんな勉強しています。
居眠りをしている人、マンガを読んでいるのは日本人だけです。
社会はもっと面白くてよいのです。
あなたが楽しく仕事をしても、だれも困りません。
多くの人が、仕事や趣味を通じて「自分も社会に貢献できる」とわかれば、もっと生き生きとした社会になるだろう、と思いました。
建築、食品、医療、教育などあらゆる分野で、楽しく仕事をしていただきたい、と改めて感じる一件でした。
中村 司
追加
「趣味では食っていけない」とよく言われます。
だれしも聞いたことのある忠告で、ある意味、正しいかもしれません。
ところが、食っていける状態にさえしてしまえば、「趣味を仕事にしてよい」のは当然です。
一流の仕事ができるはずだし、その仕事は周りからとても喜ばれると思います。
私は、自分が交通事故にあった時、心底から「良い治療を受けたい。良い先生に巡り合いたい」と思いました。
もちろん、祖母2人が合計80年も難病の関節リウマチに苦しんでいたということも「良い治療・良い先生に巡り合いたい」と思った原因かもしれません。
あれから時間は経ちましたが、昔の自分の経験を生かすことによって困っているみなさんのお役に立てるんじゃないか、と思っています。
「求めよ、さらば与えられん」と言われます。
強く求めた結果、提供する側の医療者になってしまった、ということでしょうか。
という経緯によって勉強してきたので、ホントに困っていて、向上心のある患者さん以外、治療する気にならないのです。
こういう人は本来、治りやすいのですが、対応できる先生が日本にほとんど存在しないという現実があります。
一人の人生を変えるというのは簡単ではありませんが、本人が気づけばたった2時間で人生がかわったりします。
正味、5分だったりしますが・・ 苦笑
軽い病気の患者さんは「私以外の他の先生に治療していただいたほうが幸福になれる」と確信していますので、「他に行って治療してね」とお願いしているということなのです。
99%の人には申し訳ないけれど、中村司という治療師を「社会資源として有効活用」するには、全患者さんのたった1%のニーズに対応するしかないだろうな、と考えております。
「趣味では食っていけない」とよく言われます。
だれしも聞いたことのある忠告で、ある意味、正しいかもしれません。
ところが、食っていける状態にさえしてしまえば、「趣味を仕事にしてよい」のは当然です。
一流の仕事ができるはずだし、その仕事は周りからとても喜ばれると思います。
私は、自分が交通事故にあった時、心底から「良い治療を受けたい。良い先生に巡り合いたい」と思いました。
もちろん、祖母2人が合計80年も難病の関節リウマチに苦しんでいたということも「良い治療・良い先生に巡り合いたい」と思った原因かもしれません。
あれから時間は経ちましたが、昔の自分の経験を生かすことによって困っているみなさんのお役に立てるんじゃないか、と思っています。
「求めよ、さらば与えられん」と言われます。
強く求めた結果、提供する側の医療者になってしまった、ということでしょうか。
という経緯によって勉強してきたので、ホントに困っていて、向上心のある患者さん以外、治療する気にならないのです。
こういう人は本来、治りやすいのですが、対応できる先生が日本にほとんど存在しないという現実があります。
一人の人生を変えるというのは簡単ではありませんが、本人が気づけばたった2時間で人生がかわったりします。
正味、5分だったりしますが・・ 苦笑
軽い病気の患者さんは「私以外の他の先生に治療していただいたほうが幸福になれる」と確信していますので、「他に行って治療してね」とお願いしているということなのです。
99%の人には申し訳ないけれど、中村司という治療師を「社会資源として有効活用」するには、全患者さんのたった1%のニーズに対応するしかないだろうな、と考えております。