第44号 「3rd Life」
- ファンキーばばぁになりたい2015.01.01
- 2014年 こうちゃん BEST12015.01.01
- ~旦那後記~2015.01.01
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ファンキーばばぁになりたい
年も明け、今年で43歳になります。
若いころなら「43」という響きは衝撃的なものでしたが、実際になってみるとそれほどのことでもありません。
そこで、自叙伝というわけではありませんが、少し自分のことについて書いてみたいと思います。
子どものころは4人姉弟の2番目として何不自由なく育ちました。
上を見ればきりがありませんが、毎年春と夏には家族旅行に行くような、どちらかといえば贅沢な環境だったかなと思います。
性格的にはいまのこうちゃんと同じで、元来生真面目なタイプだったのですが、成長に伴い、世の中のいろんな理不尽さを感じながら「大人なんて大したことないな」「世の中ってなんとかなるもんよね」と、すべてを甘く考えるようになり、
高校を卒業して以降は、どう見ても「まじめ」とは言えないタイプになっており、両親をそうとうやきもきさせたと思います。
ある日のこと、1つ下の弟が「おとん(父)が仕事から帰ってきたとき、りえちゃんがいてないと家の中の空気が悪くなるから、いい加減にしてくれ!」とあまりの自由奔放さを指摘してきたことがありました。
しかし、そんなことを気にもとめなかった私は「おまえこそ男のくせに毎日毎日家に帰ってくるな!」と言い返した覚えがあります。
それでも弟とは仲が良く、同じカラオケボックスでバイトをしていた時期があったり、夜中の飲み会に行くため2人で自宅の2階の窓から抜け出したりしていました。(^^ゞ
冷静に考えると、私はちょっと普通の姉と違っているのかもしれません。
エピソードは数々ありまして、例えば1つ下の弟が無免許で原チャリに乗って補導されたときは「普通は逃げ切れるはず!捕まるなんてどんくさいわ!」と声をかけ、
甲子園を目指す野球少年だった3つ下の弟には銀玉遊戯を教えこみ、弟の友達数名をまるで舎弟のように従えて、よく一緒にホールに出かけていました。
姉はお酒を飲みませんが、私と弟2人は父の血を引いたのか、かなりいける口なので、3人で飲みに行くこともありました。
今ではそれぞれ家庭を持ち「家族旅行って金かかんねんな」とつぶやく弟たちを滑稽に思いながら、両親に感謝しています。
人からは「そんな風に見えない!」と言われ続けて二十数年ちょっと異質なタイプですが、いつまでもファンキーでありたいと思っています。
人によっては「罰が当たった」という考え方をするかもしれませんが、幸いにもそのような思考回路を持ち合わせてなかったのがラッキーでした。
2015年。呼吸器人生3年目も、自分に負けることなくファンキーにいきたいと思います。
2014年 こうちゃん BEST1
『 パパママへいつももんくばっかりいってごめん
これからは、あんまりゆわないようにするね
おそくなったけど、こうちゃんていい名まえをつけてくれて
ありがとうじぶんの名まえをだいじにするね!!
パパとママがスキップ(学童クラブのことです)につれて
いってくれたから一年から六年までいっぱいともだちが
できたのは、パパとママのおかげだよ
パパママ大すきだよ
こうちゃんより 』
こんな手紙が書けるようになった息子の成長に涙しました。
そしてママはそろそろ泣くかな?と私の様子をチラ見しながら読んでくれるこうちゃんが愛おしくてたまりません。